このサイトには、2009年に書いた記事がいくつか置いてある。
当時の自分が書いた文章に、17年後の自分が追記する。そういう作りにしている。
なぜ今さらこんなことを始めたのか、書いておきたい。
消したつもりだった
17年前、私はYahoo!ブログで英語の勉強について書いていた。3ヶ月ほど、50本以上の記事を書いて、それきりになった。
Yahoo!ブログはその後サービスが終了している。だから、あの文章はもう存在しないと思っていた。書いたこと自体は覚えていたが、確認する手段がないと思い込んでいた。
最近になって、たまたま見つけた。サービス終了のときに別のブログサービスへ移していたらしい。自分でやったはずなのに、まるで覚えていなかった。
開いてみたら、全部残っていた。
TOEICのリスニングが300点台から490点になった話。発音の勉強が一番効いたという話。「頑張って頑張らなくても良い仕組みを考える」という座右の銘。当時の自分が、当時の言葉で書いていた。
読んでいて、いくつか訂正したくなった。それがこのサイトの出発点である。
AIで、書くコストが下がった
きっかけがもう一つある。
正直に書くと、AIがなければ再開していない。
記事の骨格と中身は自分のものだ。体験も、事実も、判断も、私が出している。ただ、それを文章の形にまとめる部分はAIに手伝ってもらっている。この記事もそうだ。
17年前は、1本書くのに何時間もかかった。今は、素材を出して確認するだけで、短い時間で残せる。
書きたいことがあっても書かない理由の大半は、時間がないことだった。そのコストが下がった。それだけで、やることが変わった。
iPhoneを買い替えてAIに触る機会が増えたのも、たぶん関係している。
とくに変わったのが通勤の時間だ。電車の中でAIと話しているうちに、なんとなく考えていたことが言葉になっていく。相手が黙って聞いてくれるので、脈絡のないことを喋っても構わない。そうしているうちに、自分が何を気にしているのかが見えてくる。
英語のことも、そうやって出てきた。会議で言葉が出てこないのが気になっている、と自分で言ってみて、ああ気にしていたのか、と気づいたようなところがある。
自己分析をする道具ができた、というのが近い。そして、そこで出てきたものを残しておきたくなった。
仕事のほうで、逆のことが起きた
同じ時期に、仕事の状況も変わった。
上司が代わって、海外とのオンライン会議が増えた。海外出張も増えた。英語を自分の口で使う場面が、はっきり増えている。
一方で、読み書きはAIに任せるようになった。楽になった。そして、生身で対応しなければならない場面だけが残り、そこが昔より苦しくなっている。
AIのおかげで書けるようになった。その一方で、話すほうは苦しくなっている。同じ道具を毎日使っていて、片方は楽になり、片方は怪しくなった。因果があるのかどうかは分からないが、この状況は記録しておきたいと思った。
定年が視界に入ってきた
もう一つ、年齢の話がある。
仕事はひと段落している。ただ、自分の定年が見えるところまで来た。このままでいいのか、という感覚が出てきた。
このままというのは、AIに任せて仕事を回して、そのぶん自分の中身が薄くなっていく状態のことだ。困ってはいない。ただ、このまま定年まで行くのかと考えると、それは違う気がする。
子どもができて、考える時間が増えた
そして、子どもができた。
2歳の子が、アレクサに「これ英語でなんて言うの」と聞いている。「じいじ」と「グランパ」を、その日の気分で使い分けている。勉強している意識はまったくない。
それを見ていると、英語とは何か、勉強とは何か、そもそも言葉とは何かを、自然と考えるようになった。自分が何十年もやってきたことは何だったのか、と思う。
子どものために何かを調べる時間が、そのまま自分のことを考える時間になっている。
条件が揃った
まとめると、こういうことになる。
- AIで、書くコストが下がった。通勤中に自分の考えを整理する習慣もできた
- 仕事で、英語を自分で使う場面が増えた
- 定年が見えて、このままでいいのかと思うようになった
- 子どもができて、言葉について考える時間ができた
- そして、消えたと思っていた17年前の文章が残っていた
どれか一つだけなら、たぶん始めていない。全部揃ったので、始めることにした。
何を書いていくか
このサイトでやることは、二つある。
一つは、17年前の記事に追記していくこと。当時の自分が何を書いて、今の自分がどこを訂正するか。訂正しない部分も含めて残す。
もう一つは、これから英語を学び直す過程を書くこと。何を試して、どうなったか。うまくいかなかったことも書く。
TOEICで990点を目指すつもりはない。目指しているのは、会議の途中で言いたいことをその場で言える状態だ。
そこに行けるかどうかは、まだ分からない。分からないまま書き始める。