前回、50歳を前に英語を学び直すことにした、と書いた。
では何ができていないのか。棚卸ししてみたら、思っていたのと違う答えが出た。
読み書きは「できている」ことになっている
仕事で英語のメールや資料を読む機会はある。書く機会もある。だから読み書きはできている、と長らく思っていた。
実際には、ほとんどAIに読ませている。書くほうもAI任せだ。Copilotに投げて、日本語で指示を出して、出てきたものを確認する。
伝わっているし、理解もできている。むしろ精度は昔より上がっているだろう。AIを介すことで、伝える・理解するという部分だけを見れば、確実に向上している。
ただ、ひとつ気づいたことがある。
英語を英語のまま処理する機会が、明らかに減った。
かつては、読むときは英語で読んでいた。書くときは英語で考えていた。今は日本語ですべてを処理して、英語との接触面はAIが担っている。
生身で対応する場面だけが残った
そうして、英語を自分で使わなければならない場面が、はっきり分かれた。
会議のとき。海外へ出張するとき。お客さんを迎えるとき。
ここではAIが助けてくれない。画面の向こうで議論が進んでいて、自分も何か言わなければいけない。言いたいことははっきりある。日本語なら3秒で言える。
それが出てこない。
しかも、以前より苦労している。昔よりしんどい。
これが一番こたえた
若い頃に力が足りなかったのなら、話は単純だ。これから伸ばせばいい。
今回はそうではない気がしている。かつてできていたことが、できなくなっているように感じる。
理由は、たぶん使っていないからだと思う。AIが読み書きを引き受けてくれた分、自分が英語に触れる量が減った。歳のせいもあるのかもしれないし、扱う内容が昔より込み入っているのかもしれない。ただ、接触量が減ったことは事実として自覚がある。
AIのおかげで仕事は楽になった。それは本当だ。同時に、楽になった領域が自分の中から抜けていっている気がする。抜けたことに気づくのは、AIが使えない場面に立ったときだけである。
何が足りないのか
具体的に見ると、二重に詰まっている。
単語量が足りない。明らかに足りない。足りなさすぎる、というのが正直な感覚だ。900点を取ったときは、それなりの語彙があるつもりだった。今思えば、あれは試験に出る範囲の語彙だった。
そして、知っている単語すら取り出せない。読めば分かる単語が、必要な瞬間に口から出てこない。
読むときは、単語のほうから自分に向かってくる。話すときは、自分から取りに行かないといけない。この二つは別の作業で、私が受けたTOEIC L&Rは前者しか測っていない。
本当に欲しいのは、その先にある
ただ、単語を増やせば解決するかというと、たぶん違う。
会議で本当にできるようになりたいのは、当意即妙のやりとりだ。誰かが言ったことに、その場で返す。反対意見を、角が立たない言い方で挟む。
それも、彼らの文化の中で通じる形で、である。
これが一番難しい。何を言うかだけでなく、どういう順序で、どのくらいの強さで言うか。そこには単語帳に載っていない作法がある。10年アメリカにいても、ここは完全には身につかなかった。
向こうで見ていて、この部分が明らかに強い人たちがいた。現地の人と結婚している人、付き合っている人である。仕事だけで英語を使っている人間とは、知っている量が違った。何が失礼にあたるか、どこで笑うのか、どのくらい踏み込んでいいのか。そういうことを、生活の中で覚えている。
教材や勉強時間の差ではなかったと思う。日常の中でどれだけその文化に浸かっているか、という差だった。
そして、この部分こそAIが助けてくれない。訳してくれるのは意味だけで、間合いは訳せない。会議の3秒後に返すべき一言を、アプリを開いて探している時間はない。
現在地
- 読む・書く:AIが代行している。自分の力は落ちているかもしれない
- 単語量:足りない。しかも取り出せない
- 会議で話す:ここが本丸。とくに即座のやりとり
- 文化の中での受け答え:一番遠い
学び直すと言っても、TOEICをもう一度受けたいわけではない。900点は、読んだり聞いたりして理解する側の力の証明で、その証明はもう持っている。しかもその部分は、今やAIのほうが速い。
なお、このあともう少し棚卸ししてみたところ、全部が落ちたわけではなかった。仕事の型に沿った英語は、むしろ伸びていた。そのあたりは別の記事に書いている。
欲しいのは、会議の途中で、言いたいことをその場で言える状態だ。
何をやればそこに行けるのかは、まだ分かっていない。ただ、どこに行きたいのかは、これではっきりした。