「アレクサ、くるまって英語でなんて言うの?」
うちの2歳児が、ここひと月ほどで、こう聞くようになった。
アレクサは「cars」と答える。子どもはそれを繰り返す。それだけの話である。
私はTOEIC900点を持っている。ただし取ったのは20年近く前で、今また受けて同じ点が取れるかは、正直あやしい。
アメリカに10年住んで、英語で仕事をしてきた。それでも今、英語ができている気がしない。
その私の家で、2歳児が英語を覚えている。
面白いのは、覚え方がまったく違うことだ。
「じいじ」と「グランパ」を、気分で使い分ける
子どもは今、「じいじ」と言うこともあれば「グランパ」と言うこともある。どちらでもいい、という顔をしている。
これを見て、少し驚いた。
単語を二つ覚えている、という話ではないように見える。同じ人に二つの名前があると分かっていて、その日の気分でどちらを使うか選んでいる。言い換えること自体が楽しいらしい。
英語と日本語が別のものだと、なんとなく分かっているのだと思う。
そして、そのどちらも「勉強」ではない。
私が通ってきたのは、全部「学習」の経路だった
自分の来た道を思い返すと、まるで違う。
単語帳をやった。発音の本を1冊やり込んだ。リスニングを鍛えた。TOEICを受けた。英語は最初から最後まで「学習の対象」で、点数のつくものだった。
その経路は間違っていなかったと思う。実際にスコアは上がったし、仕事も回った。
ただ、あの子は今、英語を対象として見ていない。分からなければその場で聞いて、聞いた言葉をすぐ使う。覚えようとしている様子がない。
英語を「学ぶもの」として見ている大人と、「使う道具」として触っている子ども。同じ家の中で、英語との付き合い方がまるで違う二人がいる。
ただし、同じ方法でいいわけではない
ここで「子どもは天才だ」「大人も同じようにやればいい」と書くのは、たぶん間違っている。
2歳児が今必要としている英語と、私が必要としている英語は違う。仕事で使う英語には、込み入った説明があり、相手の含みを読む場面があり、書き言葉がある。「cars」を覚えるのとは別の話だ。
だから、あの子のやり方をそのまま真似しようとは思っていない。年齢も条件も違いすぎる。
それでも、ひとつ引っかかったままのことがある。
AIが答えてくれる時代に、何を自分の中に残すのか
あの子がアレクサに聞いているのを見ながら、思ったことがある。
分からない言葉があれば、聞けば答えが返ってくる。これは今、大人も同じだ。翻訳アプリを開けば済む。私が20年前に単語帳でやっていたことの大部分は、もう機械の側にある。
では、それでもなお自分の中に入れておく必要があるものは、何なのか。
まだ答えは出ていない。
ただ、答えが出ていないまま「もう英語はやらなくていい」と結論するのは、たぶん違うという感覚だけがある。
自分に何が足りないかは、はっきりしている。単語量だ。明らかに足りない。足りなさすぎる。そして、知っているはずの単語も、必要な時に出てこない。
私が受けたTOEIC L&Rは、選択肢から選ぶ試験だ。口から言葉を取り出して話す力は、直接は測られない。900点というのは、読んだり聞いたりして理解する側の力の証明であって、それ以上ではなかったのだと思う。しかもそれは20年前の証明で、今も有効かどうかは分からない。
翻訳アプリを開けば、その場はしのげる。実際しのげてしまう。それでも、自分の口から出てこない状態のままでいいのか、というところで引っかかっている。
50歳を前にして、私はもう一度、英語を学び直すことにした。
何をやるかは、まだ決めていない。決めていく過程も、ここに書いていく。