前回、AIに読み書きを任せているうちに、自分の英語が怪しくなってきた、という話を書いた。
では、そこまでして英語をやり直す必要があるのか。翻訳アプリで済むなら、それでいいのではないか。
自分でも一度、考えてみた。
仕事の話から
まず身も蓋もない理由から書く。
英語ができると、就ける仕事が変わる。面白い仕事に手が届くし、給料もそこそこ良い。私は転職を何度かしているが、そのたびにこれを実感してきた。
とくに、自分の専門分野と英語の組み合わせは効いた。海外子会社が絡む仕事は、専門知識だけでも英語だけでも回らない。両方いる人間の数がそもそも少ない。
TOEICのスコアも、この文脈では意味がある。転職市場では、分かりやすい指標が必要になる。900点という数字は、それ自体が実力を証明するものではないが、書類の段階で足切りされないための札にはなる。
ここまでは、AIがあっても変わらない。むしろ、AIで誰でも英文が書ける時代になったからこそ、機械を通さずに扱える人間の希少性が上がる可能性もある。
AIの英文を、チェックできるかどうか
もうひとつ、毎日使っていて気づいたことがある。
AIも結構間違える。
文法は合っている。整った英文に見える。それでも、自分の意図と違う訳になっていることがままある。主語と目的語と述語をざっと見ただけで、これは自分の言いたいことではない、と分かる程度に違っていたりする。
そういうとき、直せるかどうかは自分の英語力次第になる。読めなければ、間違いを見逃したまま送ってしまう可能性がある。
AIに任せると英語が要らなくなる、という話ではなかった。任せるほど、出てきたものを見抜く力が要る。 ただしその力は、任せきりでは鍛えにくい気がしている。
会ったことのない人を、雇いますか
ただ、仕事の理由には、もう一段深いところがある。
英語を使う場面で、最後に効いてくるのは会って話すことだ。オンラインでも対面でも、実際にその人とやりとりして、どういう人間か分かる。それが仕事を動かす。
会ったことのない人を雇おうと思うだろうか。
たぶん、思わない。メールの文面がどれだけ整っていても、それは会ったことにならない。そして今、そのメールはAIが書いている。私が書いたのか機械が書いたのか、受け取る側には分からない。
私の場合、最後に相手のことが分かるのは、会って話したときだ。
そこでうまく喋れなければ、それまで積み上げてきたものが伝わらない。今の私の使い方だと、AIが助けてくれるのは会う前までの部分になっている。
仕事を全部取り払っても、残るもの
では、仕事で英語を使う必要が完全になくなったら、やめるのか。
たぶん、やめない。
洋楽を英語のまま聴きたい。ミュージカルを字幕なしで観たい。ドラマを、訳を挟まずに楽しみたい。
これは実利ではない。翻訳アプリで筋は分かるし、字幕もある。困りはしない。
それでも、歌詞が歌詞のまま入ってくるのと、意味だけ分かるのとは違う。ミュージカルの台詞は、韻とリズムと、その場の間で成り立っている。訳文にすると、そこが落ちる。落ちた部分こそが面白いところだったりする。
アメリカにいた頃、ブロードウェイのミュージカルを観て、アメリカ文化が好きになった。あれがなければ、英語を本気で勉強し始めることもなかったと思う。
そのときに手に入れたものを、まだ手放したくない。
そして単純に、違う文化の人と関わるのは楽しい。海外旅行も楽しい。行った先で少しでも話せると、見えるものが変わる。
子どもにも、そういう経験をしてほしいと思っている。外国の人と関わって、世の中が広いことを意識しながら、勉強や仕事をしてほしい。自分がそれで得をしてきたからだ。
AIがあるから要らない、への返事
「AIがあるんだから、英語なんて要らないでしょう」
そう言われたら、半分は同意する。読み書きの実務は、もう機械のほうが速い。私自身が毎日そうしている。
同意できないのは残りの半分だ。
AIが出してきた英文が自分の意図と合っているか、見抜くこと。人と会って話すこと。歌や芝居を、訳を挟まずに受け取ること。この三つは、少なくとも今の私には、他人にも機械にも代わってもらえていない。
そして面白いことに、後の二つは学校のテストで測られてこなかった部分でもある。TOEICはどちらも測らない。900点を持っていても、会議で言葉が出てこないし、ミュージカルの台詞は聞き逃す。
だから、やり直す。
測られない部分を、今度は自分のために取りに行く。それが、AIがある時代に英語を続ける理由になりそうだと、今のところ思っている。