仕事で英語のメールを書くとき、私は最初から英語で書いていません。
まず日本語で、何を言いたいのか、何を確認したいのか、どこまで伝えてよくて、どこを曖昧にしておくべきかを決めます。それが固まってから英語にします。英語にする工程では、AIを使っています。
つまり私にとって英語は、最後の変換工程です。判断はその手前で全部終わっている。
直接的な文章を、間接的に直している
AIが出してくる英文は、日本語で考えたことをそのまま形にすると、かなり直接的になることがあります。
たとえば、費用の負担をお願いする場面。「これはそちらの責任なので負担してください」という趣旨の文章が出てきます。内容としては間違っていません。ただ、私はそのまま送りません。「こういう状況なので、一度検討して、詳細を教えてもらえませんか」という形に変えます。
直接から間接へ。これは日本語のメールで私がやっていることと同じ操作です。断定を弱める、決めきらない、相手に考える余地を残す。
AIに聞くと、元の直接的な文章でも問題ない、普通の言い方だと言われます。それでも私は直します。宛先に日本から出向している人が入っていることもありますし、20年以上、海外からのメールを受け取ってきた感覚もあります。日本的な文脈の読み方が、まるきり見当違いだとは思っていません。
そして実際、この書き方でやりとりは成立しています。想定した通りの反応が返ってくる。
同じ書き方が、噛み合わないことがある
ところが、同じやり方で書いても、うまく進まない相手がいます。
こちらから何かをお願いする場面、催促する場面で、話が前に進まないことがある。同じように丁寧に、同じように間接的に書いているのに、噛み合っている感じがしない。
しばらく、相手や地域の違いだと思っていました。でも、そう考えると説明がつかないことがあります。噛み合わないと感じていた相手でも、資料を画面で共有しながら会話をすると、スマートに、分かりやすく説明してくれるのです。相手が変わったわけではない。変わったのは場面のほうです。
いま分かっているのは、それだけです。
- 相談したり、相手の判断を求めたりする文章では、うまくいっている
- こちらが具体的な行動を依頼したり、催促したりする文章では、噛み合わないことがある
- 資料を見ながらの会話では、うまくいく
原因は特定できていない
依頼や催促の場面で婉曲な書き方をすると、丁寧さではなく曖昧さとして受け取られる。何をいつまでにやればいいのかが伝わらない。そういう説明は、たしかにできます。
ただ、それが本当の原因かどうかは分かりません。
うまくいっている相手と、噛み合わない相手とでは、場面だけでなく、立場も、私との関係も違っています。相手が社外の専門家である場合と、同じグループの中の相手である場合とでは、こちらの依頼の重さが違う。変数が分けられていない状態です。
原因は、依頼という行為の性質かもしれない。相手との関係かもしれない。私の書き方かもしれない。今の材料では、どれとも決められません。
17年前の私なら、ここで「日本人の英語は回りくどいから伝わらない」と書いていたと思います。実際、当時のブログでは何度か主語を大きくして書いていて、いまその訂正を入れているところです(英語とTOEICの学習歴と簡単な自己紹介 ——17年後の追記つき)。同じことをもう一度やりたくはありません。
分かったのは、線があること
はっきりしたのは、原因ではなく、線が引かれているという事実のほうです。
私の英語は、どこでも同じように通じているわけではない。通じる場面と、通じにくい場面がある。そして、その線がどこに引かれているのかを、私自身が説明できない。
私が受けたTOEIC L&Rは、読んだり聞いたりして理解する側の力を測る試験です。900という点数は、私が書いた英語が相手をどう動かすかについては、何も証明していません。
以前、AIに任せているうちに自分の英語が落ちていたという話を書きました(AIに英語を任せたら、自分の英語が落ちていた)。あのときは、読み書きは残っていて、生身の場面だけが痩せたのだと思っていました。今回分かったのは、読み書きの中にも同じ線が入っているということです。
会議で言葉が出てこない話も書きました(TOEIC900を持っているのに、会議で話せないのはなぜか)。あのときは、単語を探している数秒のあいだに議論が先へ進んでしまう時間の問題として書きました。資料を見ながらの会話なら通じるという今回の観察は、それと矛盾しません。資料が論点を固定してくれる場面では、数秒の遅れが致命傷にならない。
型のある場面では回る。型が薄い場面では詰まる。書き言葉でも、話し言葉でも、同じ線が引かれているのかもしれません。
かもしれない、で止めておきます。これから学び直していく中で、この線がどこにあるのかを見ていきます。